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nu-ヌウ- 新種の刺繍展

美術作家たちによる刺繍作品の企画展です。
それぞれが全く別のアプローチから刺繍という技法を選択し、
「刺繍で何ができるのか」を提示して見せた作品は、
一般的な刺繍のイメージを軽やかにすり抜けて、
時代や次元を越えた魔法のような愛らしさを獲得しています。
刺繍表現の新しい魅力に気づく展覧会となれば幸いです。

portable / unportable landscape

張り付いた景色をひとつまみ
ここからパッと持ち出して / 部屋の灯りに閉じ込めて
一輪足りない花畑見たい / わたしの花のふるさとおもう

本展で発表した花瓶とバッグのシリーズです
眼がなぞった風景を
指で捏ね上げた風景を
一方は外に持ち出す巾着として
一方は屋内で花と佇む器として現しました

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小説家の蜂本みささんが掌編を寄せてくださいました。
観察眼に裏打ちされた批評性と美しくそしてどこか懐かしい物語が絡み合い、美術作品に深みを与えてくれます。

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巾着
蜂本みさ
 
 はしごを登るなんていつぶりのことだろうか。目の前の段を掴んで腕と脚に力をこめ、体を引き上げることを繰り返す。下から上へ、視界が徐々に開けて、奥行きのある小さな部屋が現れた。膝でにじりあがって床に腰をおろし、ようやく息をついた。
 天井の低い、屋根裏部屋のようなところだ。立ち上がることはできない。今は無人だが、ここに来る人はきっと、皆ハイハイや膝立ちで移動するのだろう。たくさんの体に磨かれたなめらかな木の床が手のひらに触れる。
 そういえば前にはしごに登ったのも、このギャラリーに来た時だった。九年ほど前だろうか。その日もこの小さな部屋には、この世のはじめからここにあったような自然さで、いくつかの絵画や立体作品が並んでいた。
 部屋の壁際と真ん中に作品が展示されているが、もちろんあの時とは別のものだ。刺繍をテーマにしたグループ展だという。クロスステッチで描かれた絵画的なもの、どのような技法なのか試験管の中に刺繍だけが浮かんでいるもの、花瓶のような形をしたもの。そのどれもがよく見ればさまざまの色と手触りを持つ糸で構成されている。木でできた部屋の中に、布と糸との複合体が互いを固く抱きしめあい、ぽつんぽつんと小島のように並んでいる。ブローチのような作品に目を近づけると、風景や生物や図に見えていたものがひとつひとつの縫い目にばらけていった。白く輝く銀色の針はいったい何度、裏と表を往ききしたのだろう。ここにある縫い目をみんなほどいてしまったら、きっとすごい長さの時間が解き放たれる。
 目の端でなにか小さな影が走った気がして、奥の壁を振り返った。何枚もの巾着がそこにかかっていた。これもグループ展の作品だ。口に通してある紐はきれいに伸ばされ、平たくのされて、やわらかな正方形を描いている。巾着はそれぞれ質感と色の異なる布を縫い合わせて作ってあり、風景画のように見える。本当に風景画なのかもしれない。あれは山並み。たゆたう白雲。石ころの転がる野原。大きな河。手触りのいいコットンと、かすかに輝く光沢のあるサテン、枯れた芝生に似た毛羽のある生地。おそるべき密度で縫い込まれ、蛇行するラインを描く刺繍。そして布をふちどる細かな縫い目のちくちくとした感触。本当に触ったりはしない。目を使って撫でている。手のひらに、指の腹に、爪と指のあわいにありありと感じられるまで、目で撫で続ける。ずっと前にもこんなことがあった、と思う。目も耳もうまく使えず、ときどきあたたかくしっとりとした大きな生き物に抱かれ、口の中を満たし、それ以外の長い長い時間、ずっと布に触れて過ごしていたことがたしかにあった。握ったり撫でたり、舌で触ってみることもあった。そうやって世界の形を少しずつ把握していった。
 巾着は窓だった。まばたきをするたびに、さきほどの小さな影がどこか風景に現れ、目配せをよこしては消えた。頭の中で巾着に物を詰め込んでみる。文庫本、家の鍵、スマートフォン。あるいは、おにぎり、ハンカチ、二五〇ミリリットルペットボトルのお茶。あるいは、タオル、日焼け止め、替えの靴下。物でいっぱいになった巾着が、縫い付けられた風景と一緒に大きく膨れ上がる。頭の中で巾着の紐をつまみ、左右にひっぱる。巾着の口はどんどん窄んでいく。風景も一緒にぎゅっとしぼられる。空も山も川も、一箇所だけが強く収束する。小さな影はそのことに気づかない。自分も一緒にふくれたり窄んだりしているからだ。
 ふふ、と喉から笑い声が漏れた。床に寝そべって巾着を眺める。目をつむると頭の中の巾着はもはやありえないほどに膨らみ、ありえないほどに窄んでいる。
 
 すすき野原を走っている。前を走るすばしっこい背中を追いかけている。あたりは薄暗く、日暮れなのか早朝なのかわからない。はあはあと息をつきながら空を見上げると、真っ黒な空から紺と薄紫の混ざりものが投網のように投げかけられて、白や赤の星星がそこかしこに散らばっている。
 駆けながら腕を伸ばして細い首をつかまえるが、すんでのところですり抜けられ、つんのめってそばにあった藪によろけこむ。ふわふわの穂をつけたすすきの野原だ。右腕に熱さが幾筋も走って思わず、痛い、と漏らしてしゃがみこんだ。薄暗闇の中をじっと見ると、右腕の皮膚がすすきの葉で切り裂かれたのか、赤い筋が三本走っている。真ん中の傷から血がにじみ、針の先で突いたような玉をつくっていた。
 さっきまで前を走っていた少年が気まずそうに佇んで、こちらを心配そうに覗き込んでいる。大丈夫だよ、と強がりを言う。傷をくっつけるように左手で腕をぎゅっとしぼると、肌に皺が寄って傷はいったん消えたが、手を離すとまた血をにじませた。
 あ、と少年が声をあげる。ご覧よ、今日の彗星が通るよ。伸ばされた指先に従って天を仰ぐと、空いっぱいを巨大なほうき星が覆っている。きっさきをするどい銀色に光らせながら、まっすぐに天幕を横切り、尾はまだまだ見えそうもない。あまりに強い光に頭が痛くなり、目を伏せてしまう。
 
 床の上で眠り込んでいたようだった。体をひねったおかしな格好で、いつの間にか口の中に指が入っていた。ずいぶん眠ったような気がするが、誰も様子を見に来ないところを見ると長い時間ではなかったのだろう。体を起こし、作品をもう一巡して部屋を出た。
 はしごを降りるとき、右腕がひどくしびれていること気がついた。おそるおそるはしごを握ると、掴んでいるのかいないのかわからなくて、右腕だけをひどく遠いところに忘れてきたようだった。







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細胞刺繍

 

遠くを眺めるには想像力が必要だ

霞んだ山々の木々の一本を選び出し

その樹皮に蔓延る苔を架空の眼で見つめることが

 

身体のうちにありながら

身体そのものでありながら

あまりに遠いこの細胞たちを

 

一つ一つの境界を手触りで確かめて

針を刺し糸を通しながら

細胞刺繍は絵画シリーズ「肌を摘む」と同時に生まれた作品群です。「肌を摘む」では身体の表面(つまりはぺらぺらのこの肌)について、そして私たちの眼にしつこく映り続けるこのぺらぺらの像を肌と見立てたものについて、その肌と前後不覚に在る関係として刺繍を施しました。外界に眼を向けたこの作品とは反対に、細胞シリーズでは身体の内面を見つめます。そこで刺繍は広大な膜をせいぜい摘むしかない存在ではなく、極小の細胞の膜を触り込み形作っています。

本展では以下の​過去作品も展示しました。

石をぬう

 

石を拾い、撮影して、写真に印刷する

写真に対して縫いおよび塗りを施す

その写真を複製したものにさらに縫い、

塗りを加えるというプロセスを繰り返す

縫いと塗りは双方とも暴力的な侵食作用を持つ行為です。写真に施した縫いと塗りは写真というこの紙切れに穴を開け染みをつける現実の侵食です。ここで侵されているのは物質としての写真であり石ではないですが、スキャンすることによってこれらの傷は石へと還元されます。でもそれだってただのイメージです。二つの世界の行きつ戻りつを楽しんで、最後には無傷の石ころでも眺めてホッとしてください。

​※瓶の作品は田口ナツミさん、壁掛けの刺繍は中村協子さんの作品です

​FIRST ZINE「身支度」より

gallery yolcha

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